どこに分ける基準を置くかの違い?「平等」と「公平」について

世間では男女平等の社会で、差別の無い世の中にが叫ばれています。テレビや法律が偏った考えを起こさずに、公平な判断をしなければならない、とも言われます。どちらも意味は似ていますが、違いはどこにあるのでしょうか。

平等とは「違いがあっても」同じだと突き通すこと

平等とは、違いを踏まえた上で結果もしくは、何かを同じになるように調整し、平均的に揃えるという事を言います。つまり、違いを踏まえた上でその違いを無視して皆が同じだとする事です。男女平等も男と女は性別が異なりますが、同じ日本の人間として同じだという事なのです。

ということは、最終的に皆が同じ状態になるように、付け足すものや省くものに偏りがあっても良いという事になります。日本でも「法の下の平等を」という言葉があるとおり、差別されてはいけないのです。

公平とは「違いが無く」同じ事

公平とは、私情や感情を省いて1つの偏りもなく公に平等だという事です。つまり違いが全くなくて、みんな全く同じという事です。

贔屓(ひいき)をしたり、偏りがあってはいけないという事になります。例えば野球やサッカーでヒイキのチームや球団があったとしても、審判はルールに基づいて「公平な判定」をしなければいけない、というような使われ方です。どちらが好きか嫌いかではなく、ルールという判断基準に置いて、えこひいきせず判定を下すのです。

「平等」と「公平」の違いについて

ではこれらの違いは何でしょうか。例えば「男50」「女50」の全く同じ人形を2チームに分けるとします。公平ならば男25女25のチームを2つ作る事になります。

しかし平等ならば、男女の比は関係なくて25人のチームを2つ作るという事をします。公平は中身も全く同じように分けるという事で、人数も男女の比も同じにします。

一方で平等は中身は関係なく、何かを揃えるだけで良いという事になるため、人数を揃えるという事だけ考えれば良い、というのが2つの違いです。

人種差別の無い世の中へ

人種差別を無くす為に立ち上がった「キング牧師」の物語です。中高生や大人向けで、差別の無い平等な社会へ行動した男がアメリカにいました。

日本は今でこそ平等な社会、男女平等と言われていますが、そこに至るまでには世界各地で様々な考えや葛藤がありました。今後も後世に伝え続けていかなければいけないことはたくさんあるのではないでしょうか。