限定された範囲と無限の違い?「インターナショナル」と「グローバル」の違いについて

テレビやメディアでは、グローナルな人材に、グローバルな視点でという使われ方をします。かたやインターナショナルは、インターナショナルな仕事や会社を・・・という使われ方をしますが、その差が分かりにくくなっています。どちらも日本では無く海外を指していますが、この違いはどこにあるのでしょうか。

インターナショナルとは限定されたもの

「インターナショナル」の言葉の意味は、日本語で「国際的」や「各国間の」という意味を表します。国家や国境を前提とした国際間のつながりをイメージする言葉であり、1980年代後半から「グローバル」が使われ始めるまで「インターナショナル」の方が一般的に使われていました。

日本ではインターナショナル・スクールというものが存在します。学校ではありますが、国が認可しているところとそうでないところがあり、基本的に授業は「英語」で行われています。

2重国籍の方などはいつ海外へ引っ越すか分からないため、ステイタスとしてではなく国際的な感覚を養うといった目的をされている方もいます。しかし文部科学省の策定ではなく、欧米中心なので通うかどうか賛否は分かれるところです。

グローバルとは限定されていない全て

「グローバル」の言葉の意味は、「インターナショナル」が意味する国家や国境を前提としている国際間の繋がり「国際的」を意味している事とは異なります。

地球の」や「地球規模の/世界規模の」というイメージを意味しています。日本ももっと「グローバル化しなければならない」という言葉をしばしば聞きます。これは、国内と海外の境目が無くなるくらいお金や情報をやり取りする必要がある、という意味です。

特定の国というわけではなく、地球全体で様々な物や情報・労働力を日本に取り込んでいくという事なのです。

「インターナショナル」と「グローバル」の違いについて

「グローバル」と「インターナショナル」の違いは何でしょうか。「インターナショナル」は一つ一つの国家が存在して、その国家同士が繋がっているイメージの言葉です。つまり、国家や国境を前提とした考え方です。

一方で「グローバル」は国家や国境を前提としてはおらず、地球全体を一つのものとして捉える考え方で、対象となる範囲が違うのです。

今後の日本は答えを探してはいけない?

今後の日本の未来を予測することは大変困難で、どのように変化していくか分かりません。学校で教えられたことだけでは世界で通用せず、デジタルの世界では戦えません。日本の教育や考え方を見直し、国際バカロレア教育という暗記ではなく探究心を掻き立てる教育を目指すべきなのかもしれません。

教える側と教えられる側、サービスを提供する側と提供される側、どんな事が今後必要になるか、世界を考えるからこそ今から考えておくと面白いのかもしれません。