成長するのが「物」「内面」の違い?「文化の発展」と「文明の発展」

文明開化の音がする・・・とは歴史の教科書のどこかで聞いたことがあります。江戸時代が終わって明治時代になり、食べ物(洋食)や乗り物(馬車)に靴や煉瓦に鉄道など西洋からの習慣が制度化されて変化してきたことを意味しています。

文化とは人間の内面を表現するもの

文化とは、特定の集団による地域や時代の特徴的な「様式」「風習」です。精神的な部分に焦点が当てられているので、機械や設備の発展というよりもむしろ「学問」「学習」「人々の交流」に関する事柄に用いられる事が多くあります。

日本では「お客様は神様だ」という言葉を聞くくらい、お客を大切にする傾向があります。お金を払ってサービスを受けているので当然かと思われますが、海外ではそのような事はむしろ大袈裟だといわれます。

お客とはむしろ対等に近い考え、考え方が異なる

アメリカでは特にそれが如実に現れています。例えば電車やバスの車内で騒がしいお客に対しては「今すぐ降りるか静まるかどちらかにしろ!」と運転手や駅員が声を荒げます。

スーパーやコンビニでもレジが2つあるのに1つしか稼動していない場合、長蛇の列が出来たらヘルプで隣のレジに店員が入りますよね。しかしアメリカではそういったことは少なくて、普通におしゃべりしたりマッタリしている場合があります。これは1列しか対応していない時間、と決めて割り切っているため「そこまでする必要は無い」という意見です。ですので海外へ行って「文化の違い」に驚くのです。

文明とは目に見える形で表されるもの

文明とは、古代からの都市機構が存在しており文字があり富の集中や物質的に豊かになった地域の事です。精神的に発展よりも「技術」「機械」の発達、「社会制度の整備」のインフラ的な物の側面があり経済的・物質的文化の発展に用いられています。

文明の発達は安全より優先される場合がある

例えば日本は車社会で道路には自動車が溢れています。しかし自動二輪のバイクなどは数は自動車に比べて少ないでしょう。しかしベトナムという国では、自動車はほとんど走っていなくて、辺りを見回してみるとバイク、バイク、バイクの洪水です。

道路はありえないほどのバイクで満たされており、日本では考えられない程です。かといって信号を更に厳格にしたり、取締りを強化しバイクを減らす事はしていません。安全を優先するというよりも、今までこのような生活をしていたという長年の文明を優先しているのです。つまりこれが日本とベトナムによる「文明の違い」です。

コミュニティーが存在するからこそ「文明」も「文化」も存在する

文化と文明はほとんど同一のものでありながら、目指す方向は違っています。文明は均一的な同化で、侵略的に勢力を拡大し他を圧倒していくものです。しかし文化はそれとは真逆であり、よりその土地に土着して細分化する事で更に細かく分裂する事があります。それまであったコミュニティか無くなったり、また新たに生まれる事が起きるのです。

文化はそれぞれが独立した国や地域という場所で起こり、世界中で起きているために様々な問題があります。これを理解すれば様々な衝突は避けられるのですが、長年築かれてきたものの為、変えることは困難なのです。